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東京地方裁判所 昭和59年(ワ)2811号 判決 1986年1月28日

原告 国

右代表者法務大臣 鈴木省吾

右指定代理人 細田美知子

<ほか三名>

被告 国民金融公庫

右代表者総裁 田中敬

右訴訟代理人弁護士 原長一

同 桑原収

同 小山晴樹

同 森本紘章

同 渡辺実

同 堀内幸夫

主文

一  被告は、原告に対し、金五五万八七九二円を支払え。

二  訴訟費用は、被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

主文同旨

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は、原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、被告に対し、昭和四一年一月から昭和四六年七月にかけて、国民金融公庫が行う恩給担保金融に関する法律(以下「恩給担保法」という。)三条一項に基づき、訴外渡邊成正(以下「渡邊」という。)が被告に対して被告からの借入金の担保に供した同人名義の普通恩給及び増加恩給のうち別紙担保に供した恩給一覧表記載のとおりの合計金五五万八七九二円(以下「本件恩給」という。)を払い渡した。

2  原告(総理府恩給局長)は、昭和五三年九月六日付け取消第三五七号をもって、渡邊に対する恩給裁定を取り消した(以下「本件恩給裁定取消」という。)。

よって、原告は、被告に対し、不当利得返還請求権に基づき、不当利得金五五万八七九二円の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因1及び2の事実は知らない。

なお、本件のような恩給担保法に基づいて被告が恩給受給者に対して行う貸付(以下「恩給担保貸付」という。)は、恩給担保と金銭貸付が表裏一体をなしており、有効な恩給担保の設定がなされてはじめて貸付が実行され、また、貸付金の弁済も恩給の給与金をもって充当することが予定されているものである。すなわち、恩給担保貸付は、その制度上金銭貸付と恩給の受領とが対価関係に立つ貸付形態なのであって、そもそも被告に不当利得の生ずる余地はない。

三  抗弁

1  利得の不発生又は消滅

被告の渡邊に対する貸金債権は、別紙担保に供した恩給一覧表記載の本件恩給に対応して、遅くとも、同表昭和四一、四二年分については昭和五二年末までに 昭和四五、四六年分については昭和五六年末までに、各支払期日から一〇年を経過し、時効により消滅しているから、被告には何らの利得も現存しない。

2  権利濫用

(一) 恩給担保貸付制度は、恩給受給者の生活保障に関する国の施策の一環として特別立法(恩給担保法)により創設せられた制度であって、これを維持していくことは公益上重要であるところ、恩給裁定取消によって、原告の本件請求のように善意の第三者である被告に対する不当利得返還請求が許されることとなると、被告は、恩給担保貸付に消極的にならざるを得ず、借主に対する物的担保の徴求、恩給の給与金以外からの弁済の請求、貸付審査の厳格化とこれに伴う貸付拒否の増加若しくは貸付審査の長期化等が必然的に生じることとなり、却って公共の利益が著しく損われることとなる。

(二) しかも、本件においては、次のような諸事情が存在する。

すなわち、本件恩給裁定取消は原告の恩給裁定に際しての誤判断に原因するところ、原告の渡邊に対する最初の恩給裁定から取消まで二〇年近い期間が経過しており、その間、再三審査請求がなされていたのであるから、原告においては、渡邊の恩給受給権の存否についてチェックを行う機会が十分存在した。

これに対し、被告においては、原告のなした恩給裁定を適法なものと信頼して本件恩給担保貸付を実行し、本件恩給の給与金の受領をもって右貸付金の弁済を了したものとして処理したのであるが、本件恩給裁定取消時には右処理後長期間を経過したため、右貸付及び担保設定等に関する書類は現存せず、貸付年月日、金額、連帯保証人の住所氏名等を究明することは困難となり、かつ、渡邊は現在無資力の状態であるから、渡邊及びその保証人から貸付金の回収を行うことは著しく困難となっている。

(三) 右のとおりの、恩給担保貸付制度の公共性及び本件における諸事情を勘案すると、原告は本件恩給裁定取消の効果を被告に主張しえないものというべきであり、原告の本訴請求は、信義則に反し、又は、権利濫用として、許されない。

四  抗弁に対する認否

権利濫用の主張は争う。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因1の事実は、《証拠省略》により、また、同2の事実は、《証拠省略》により、これを認めることができる。

しかして、被告の有する恩給の給与金の受領権限は、恩給受給者の恩給受給権にその基礎をおくものであるから、恩給の裁定が取り消されることにより恩給受給者が恩給受給権を遡って喪失した場合においては、被告も、恩給担保法の規定に基づく恩給担保の設定によって取得した恩給の給与金の受領権限を遡って喪失することとなり、被告が右担保の設定にともなって原告から払渡しを受けた恩給の給与金は、これを受領する法律上の原因のないものとして、被告の不当利得となるものというべきである。

被告は、恩給担保貸付においては、恩給の給与金をもって貸付金の弁済に充てることが予定されており、右の予定のもとに貸付を実行しているのであるから、被告が恩給の給与金の払渡しを受け、のちに恩給受給権が遡って消滅したとしても、被告には利得が生じないと主張する。

たしかに、恩給担保法三条二項によれば、恩給担保貸付においては、被告が恩給受給者から任意弁済を受けるのではなく、原則として担保に供された恩給の給与金を被告において払渡しを受けて、弁済に充当すべきものとされているから、被告による給与金の受領は、新規の利得というよりも予定どおりの出捐の回復といった趣きがあることは否定できない。

しかしながら、被告が恩給担保貸付を実行した場合にも、恩給の給与金による出捐の回復は一〇〇パーセント確実であるわけではなく、給与金の払渡し前に恩給受給者が死亡したり恩給裁定が取り消されたりすることによって、恩給受給者側からの任意弁済などにより出捐の回復を図るほかはない場合が生じうるのであって、そのような場合の回収不能による危険が被告の負担であることはいうまでもない。それゆえ、被告の貸付による金銭の出捐と原告の給与金払渡しによる金銭の交付とは、各別の財貨の移動であり、財産状態の変動であるといわなければならず、被告主張の関連性を理由として被告の利得を否定することはできないというべきである。

二  抗弁1について判断する。

被告の右抗弁の意味するところは、本件恩給裁定取消により恩給給与金の払渡しによる弁済が無効となったとした場合に、原告の本訴不当利得返還請求が成り立たない一方で被告の渡邊に対する貸金債権が復活して渡邊から弁済を受けるとすれば、被告は一個の出捐につき二重の回復を得ることになって、利得を生ずることになるが、実際には、被告の渡邊に対する貸金債権は消滅時効期間の経過により満足を受けることのできないものとなっているから、被告には右のような利得は発生しないというのである。

ところで、本件恩給裁定取消によって渡邊の恩給受給権及びこれを基礎とする被告の恩給担保権はいずれも遡って消滅するものであり、その結果渡邊の被告に対する借受金債務も弁済がなかったことになるから、被告の渡邊に対する貸金債権も取消前に遡って復活するものといわなければならないが、被告の右貸金債権は、本件恩給裁定取消があるまでは法律上行使できなかったものであり、右障害により右貸金債権の消滅時効は進行しなかったものと解するのが相当である。

そうすると、被告の渡邊に対する貸金債権の消滅時効は、本件恩給裁定取消があったときから進行を始めるものというべきであって、右貸金債権が既に時効消滅したことを前提とする被告の右抗弁は理由がない。

三  抗弁2について判断するに、本件のごとき不当利得返還請求が容認されるとしても、被告主張のような恩給担保貸付拒否の増加等が必然的に生じ、公共の利益が著しく損なわれる結果となるものと軽々に断ずることはできないのみならず、そもそも、政府の金額出資による資本金により、あるいは無利息ないし低率の利息による政府からの借入金によって、大蔵大臣の認可・監督・計画・指示のもとに、一般の金融機関から資金の融通を受けることが困難な国民大衆に事業資金等の供給を行うことを目的とする公法人である国民金融公庫は、私益を目的とする一般の私法人とは立場を異にし、国の行政目的の一端をになうものであって、国に対する法律関係において取引上の善意や信義則を援用すべき地位にはないものというべきであるから、被告の権利濫用の抗弁は理由がない。

五  以上の事実及び判断によれば、本訴請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 稲守孝夫 裁判官 川勝隆之 黒津英明)

<以下省略>

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